子育ては趣味になり得るか?
私には特に趣味がありません。
インテリアや整理収納は好きですが、小さな賃貸の家ではある程度限りがあり、今はやりつくした感があります。
そこで、子育て・育児を趣味にしてはどうだろう?と考えました。
趣味の要件
私にとっての趣味が満たすべき要件は大きく分けて次の4つ。
- 究める奥深さがある
- 時間的に自由度がある
- 気分がアガル
- 自己表現の場となる
1.究める奥深さ
どんな単純な趣味でも、それをすること自体や技術を磨くこと、続けていくことに奥深さがないと、趣味としては少し寂しいです。
その点、子育ては文句なしに奥深い。
子供によって異なる対応を考える必要があれば、子供の年齢によっても必要とする知識・経験が違います。
単純作業でなく、あの手この手で様々な工夫をします。
究めようと思っても究められない。ゴールがない。
趣味としては大きな魅力です。
2.時間的自由度
次に時間的な自由度、つまり好きなときにできるかどうか、ということ。
趣味の習い事で週何回・何時から、というものでも、
ある程度自分で好きな時間帯が選べ、家事や仕事と両立できると、時間的自由度がある、とします。
子育てはこれについては微妙です。
赤ちゃんはいつ泣き出すかわかりません。
家事がしたくても付きっきりでなければならないときもあります。
逆に相手をしてあげようと思ったらなかなかつれないときも。
自分の好きなときにしようと思ってする類のものではありません。
また、家事や仕事と両立はできますが、1人では困難で、誰かの助けが必要です。
気分がアガル
そもそもどんな趣味でも、していて気分が上がる瞬間がなければ楽しめません。
子育ては気分が上がる瞬間が満載です。
赤ちゃんがニコッとしたとき。
初めて何かをできるようになったとき。
子供が学校で活躍している姿を見たとき。
成長するにつれて種類は変わっても、ドキドキしたり、ワクワクしたり、喜びやうれしさで満ち満ちたりするときがあります。
が、同時に気分が下がるときも。
泣き止ませようとどんなに頑張っても泣き止まない。
病気になってしまった。
努力しているようなのに成績が思ったように上がらない。
これは子育ての奥深さを引き出す、重要な要素とも言えます。
谷があるから山が一層高く見える。
どんな趣味でもひたすらに楽しいモノではなく、苦難のときがあるでしょう。
気分が上がる瞬間も、そんな苦難のときがあるからこそ、より輝いて見えます。
自己表現の場となる
音楽、スポーツ、クラフト…。
どんな趣味も自分を表現する一つの手段になっています。
自己表現ができるというのは、他人から押し付けられたものではない、自分を発揮できる場であるということ。
子育てはどうでしょう?
子供への対応をどうするか、同教育するか、という点で自己表現する場とも言えます。
しかし親が自己表現をするというよりは、子供の自己表現を受け入れる場ではないでしょうか。
子供が成長するのに合わせて、いうこと・することを受け止め、理解を示してあげる。
ときには諭したり、批判したりもする。
自分が表現をするのが主ではありませんが、1人の人間と真摯に向き合い、その力いっぱいの表現を受け止めるのは、とても素晴らしいものです。
まとめ
私が趣味の要件にしている4つについて、子育てを評価すると次のようになります。
- 究める奥深さがある :◎
- 時間的に自由度がある:×
- 気分がアガル :◎(ときに×)
- 自己表現の場となる :意味は異なるが◎
×がついているように、時間的、気分的に自分の自由がきかないという点で、趣味としては要件を満たしません。
が、注目すべきは◎(〇ではなく)についてです。
これはその要件を満たしているというより、さらに上回ってしまっている・意味が深すぎるということを示します。
4.において自己表現の場という話をしましたが、
育児とはひとつの命が輝く舞台を眺めたり、ときには裏方で支えてあげたりするものではないかと思います。
命がかかっている以上、趣味というにはあまりに重すぎる。深すぎる。
そういう意味で、趣味にはなり得ないかもしれません。
無趣味な私にとっての趣味にはなりませんが、人生をかける価値があるものであることはわかります。
趣味とは別のものとして、育児に真摯に向かっていこうと思います。