妊娠30週で出産した話【夫の視点】
娘が無事退院した今となっては、3ヶ月前の焦りも不安もなかったことのようです。
それでも、当時の目の前が真っ暗になるような感覚だけは覚えています。
手元には、出産から3日目、妻は帝王切開の傷に苦しみ、娘もまた人工呼吸器につながれて予断を許さぬ状況のときに書いた日記があります。
少々長くなりますが、ほぼ手直しはせずにここに掲載したいと思います。
胎動の消失とかかりつけ医の診断
妻のからだ全体が浮腫み、それがおさまらない状態が定期検診前あたりから続いていた。今思えば、明らかな異常だったのだ。
最後の定期検診で、赤ちゃんの下腹部にはっきりとしすぎた水溜まりが見えた。膀胱にたまったおしっこにしてはまんまると明瞭すぎるらしい。その日の晩、妻は赤ちゃんのその状態についてネットで調べ、「胎児水腫」ではないかと不安がってた。私自身も不安がぬぐえず、調べてみるとどうやら症状が違うらしい。妻には心配する必要はないよ、と声をかけた。
それからしばらくは、仕事に追われ妻の浮腫みを気にかけず、妻に赤ちゃんの様子を聞くのも忘れていた。
ある晩、妻が赤ちゃんの胎動がない、と打ち明けた。ここ数日ほど、ではなく1週間ほどかもしれないと。すぐさまネットで調べ、そして明らかに私の顔は曇っていった。胎動が1日1回もないのは間違いなく赤ちゃんに異常があったということなのだ。私は最悪の事態を考えた。その後すぐには眠れず、未明になってから寝て、8時に起きてかかりつけの産婦人科に向かった。
いつもは診察室に入れてもらえないが、今回ばかりは同席させてもらって話を聞いた。最初から先生が険しい表情をしているのが分かった。診察の後、心音と胎動をはかる装置を取り付けてさらに検査をした。私はその間待合のベンチで覚悟を決めていた。どういう結果になろうと、ダメージを受けないように心を守る働きだったのだと思う。
先生からの説明があった。赤ちゃんの体重が前回(10日ほど前)からほとんど変わっていない。心音がゆっくりすぎる。胎動がやはり全くない。羊水が少ない。つまるところ、お母さんの子宮内の環境が良くなくて、赤ちゃんが苦しくなっている。このまま様子を見るというのは危険すぎるため、子宮から赤ちゃんを出してあげることも視野に入れ、その治療ができる病院に転院してもらう。
大学病院への緊急搬送、そして緊急帝王切開
妻は紹介された大学病院に救急車で搬送されることになった。私とかかりつけの産婦人科の看護師さんも同乗し、妻は心音と胎動をはかる装置をつけたまま救急車の中に横たわった。道中、装置によって増幅された赤ちゃんの心拍音が確かに聞こえているのが救いだった。
病院に着くなり、妻はいろいろな検査を素早く受け、話は帝王切開に及んだ。当番の先生は赤ちゃんを早く出してあげたほうがいいというふうに判断されたようだ。さまざまに確認してもらう書類はあるけれども、書類の説明はあとで必ずするから、まず何よりも赤ちゃんを出してあげることだと伝えられた。訳のわからないまま書類にサインし、気がつけば妻は台に乗せられ手術室へと遠のいて行った。私はできるだけのことを父、母、義母に伝えた。会社にも仕事の引き継ぎと現状をメールで伝えた。私にできることはそれだけしかなかった。
NICU(新生児集中治療室)での説明
赤ちゃんは手術後20分程度で体外に出され、その後一時間ほどは妻の処置だったらしい。私は手術の終わった妻に面会した。麻酔が効いていたせいか思ったよりは元気そうだった。むしろ私のほうが憔悴していた。
しばらくして、私は赤ちゃんに会うことになった。赤ちゃんはNICUで蘇生治療を終え、一段落したところらしかった。NICUに入る前に主治医の先生から説明を受けた。
早産、極低出生体重児、重症新生児仮死、不等軽量児、新生児呼吸窮迫症候群、新生児蔓延性肺高血圧症、新生児低血糖・・・
あらゆる症状を説明された。医学用語が指す正確なところは分からなかったが、赤ちゃんが依然難しい状況にあるということが伝わってきた。赤ちゃんが生きるかどうかは今晩、肺高血圧症が落ち着くかどうかにかかっていると伝えられた。
赤ちゃんとの面会
主治医の説明を聞いた後、私は赤ちゃんが入った保育器の前に案内された。
そこには、真っ赤で小さな私たちの赤ちゃんがいた。
人工呼吸器に繋がれ、あらゆるチューブが身体につながっているけれども、しっかり生きている。時折弱々しくも手を震わせ、口から舌をペロリとのぞかせる。生きている!
現代医学のすごさ、赤ちゃんの生命力。
僕はひとつ不安をぬぐいさることができた。生きて、生まれてきてくれた。
あとは、今晩を赤ちゃんが乗りきれるか。【日記ここまで】
その後、当日、2日目、3日目と赤ちゃんは無事乗り切り山場を越えました。そして、少しずつ少しずつ薬の点滴が外れ、肺に直接入っていた呼吸器が鼻にかぶせるタイプに変わり、その呼吸器も外れ、胃に直接導いていたミルクの管も外れ、直接ミルクを飲めるようになり、ついには退院。実に3ヶ月弱の入院でした。
この記事を書きながら、今まさに、娘がとても大きな声で泣いてミルクを欲しがることが、本当にありがたいことなんだなぁと改めて感じました。
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