ゆかりメモランダム

夫婦でつづる、未熟児子育てブログ

兄弟姉妹だからといって『平等』にしなくていい

母が「孫をこの手に抱きたい!」と会いに来てくれました。

 

娘の話をしていると、話は自然と育児のことへ。

母は私と私の下の子の育児で後悔していることがあるといいました。

 

兄弟姉妹は『平等』に

「『お姉ちゃんだけピアノを習って自分には習わせてくれなかった』と下の子が将来言ったらいけないと思って、平等に習い事をさせたけれど、あれは良くなかった。」

 

確かに、ピアノにそろばん、英語、塾、水泳…と全く同じ習い事を私たちはしていました。

母は続けます。

 

「お姉ちゃんはピアノができたから、下の子も、とさせた。

 あんなに何度もやめたいと嫌がっていたのに。

 ピアノの先生と私とで説得して無理に続けさせた。」

「下の子には運動の才能があったのに、水泳はお姉ちゃんと同じタイミングでやめさせてしまった。

 もっと続けさせていたらと思う。」

 

「私は『平等』という言葉が頭から離れなかった。」

 

下の子の扱い

母は、私たちきょうだいを同じように扱おうとしていました。

片方だけ大事にされたり、ダブルスタンダードがあったりということはなかったと記憶しています。

 

おかげで私はのびのびと育てたのですが、下の子はそうではなかったようです。

 

何でも私が基準になりました。

習い事をしても同じもの、成績はお姉ちゃんと比べられる、という目にあってしまいました。

正直窮屈だったろうと思います。

 

平等より「個性」

「もっと一人ひとりの個性を見るべきだった」

と母は言いました。

私もそれがよかったのだろうと思います。

 

子供は性格も得意不得意もそれぞれ異なります。

全く同じ育て方をすれば同じような子に育つというわけではありませんし、それがベストとも言えません。

 

話は変わりますが、「男女平等」と言ったときも男女に同じ重さの荷物を持たせるというのは違う、と思います。

男性の方が重い荷物を持つのが得意だろうし、女性は他に得意なことがある。

荷物の重さも男性女性の体格体力に合ったものにする必要があります。

 

子育てはそれのもっと細分化されたものだと思います。

 

「同じように愛情をかけてあげたい」という母の気持ちは痛いほどわかりますが、それがこのような『平等』として表れてしまったのは少し違うなとも感じています。

 

娘には兄弟姉妹はいませんが、私自身や他の子と比べることなく、娘ひとりの個性として育てていければと思います。